-
最近の投稿
アーカイブ
カテゴリー
投稿日カレンダー
2025年1月 日 月 火 水 木 金 土 « 12月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
皆様、夢ってありますか?
僕は小さい頃から多すぎるくらいに、夢がたくさんあり、ころころと変わっていました。
幼稚園の時は飛行機のパイロットだったり、小学校の頃はパッケージ屋さんで
たくさんの弁当容器が置いてあるのをみて
それになぜか興味をもち、お弁当屋さんになりたいという夢。
子供の頃って何にでもなれるきがしていました。
本気の夢は小学6年生の時でした。
それは、競輪選手です。
なぜ、その夢になったのかは覚えてはいませんが。
中学3年生まで毎日練習したり
大会なんかもでたりしました。
中学3年生といえば高校受験ですよね。
修善寺に唯一自転車競技部がある学校がありました。
自転車にしか興味ない僕は、その高校一択!
のはずでしたが、僕の内申点では厳しかったどころか
行ける高校がこのあたりだと、3,4校くらいでした(笑)
もっとまじめに授業をうけるべきでしたね。。。。
そこで先生に勧められた学校が飛龍高校の食文化コースでした。
そこからが僕の夢の始まりです。
高校生活、飲食でのアルバイトも含め、料理に携わることが増えていき
いつしか僕の夢は調理師になることでした。
今、思うと調理師って資格とるだけでしたね(笑)
調理に携わって10年以上がたちましたが。
店をもつことが夢だった僕の夢は叶いました。
ですが、始まったばかりです。
やりたいこと、とりたい資格、いろいろあります。
これからは、夢ではなく、挑戦になっていくのだと思います。
いつも、ありがとうございます。
竜之巣です。
前回、修行1日目のお話をさせていただきました。
正直、その後の事はあまり覚えてません(笑)
僕が、入社して1.2カ月で先輩二人が辞めてしまい。
飯場のポジションをやりつつ、八寸場、板場、煮方などをかけもち
次の仕事がたえない日々が続き、何も考えることもなく。
ただ、マイナスな気持ちでしかありませんでした。
今、思えば
1年目であれだけの仕事をやらせていただける事はないと思いますし。
感謝しております。
すこし、慣れてきた時のこと。
毎朝の先輩方へのお茶出し。
すぐに、仕事ができるように準備。
ここまでは、わかります。
ですが、親方が来たら白衣を着せ。
帰るときは、ハンガーにかける。
たったこれだけの事でしたが、僕は、それを不満に思ってました。
あるとき、すごく可愛がってくれた二番(副料理長ポジション)に愚痴を吐き
どうして、そんな事をしなければならないのですか?
と質問をすると。
じゃあ、なんで無料で仕事を教えてもらってるの?
なるほどなと、当時はすんなり受け入れてました。
これが、親方と弟子ということなんですね。
今、そういったお店や旅館はなくなってきてるとは思います。
古き良きなのかもしれませんが、この時代、それでは長続きしませんよね。
結果、長続きしなかった僕です。。。
沼津に戻ってからは、専門学校の友達に誘われ、沼津のお寿司屋さんにお世話になりました。
昼も、夜も満席続き。
修行という言葉は似合わないくらい、丁寧におしえてくださり。
仕事終わりや休みの時に、飲みや食事に連れってくださり。
とても、充実していました。
僕にとって大将は先生であり親のような存在でした。
そんな、お店は営業中も、仕込み中も笑顔がたえない職場で
僕が目指すべき姿だなと思います。
先日、僕より3つ4つ年下のお客様がご来店してくださいました。
どうやら、そのお客様にはお師匠様がいるみたいで、弟子になるわけです。
そのお仕事はここでは言えませんが、お師匠様の身の回りのお世話だったり。
毎日、献立を考えてご飯を作っているみたいです。
この時代にそれをやるのはすごいなと、思いつつ
僕の旅館での修行時代をふと思い出しました。
当時、20歳の僕は志が異常に高く、どんなに厳しい世界でも戦ってやる!
そんな気持ちで世界的に有名な旅館に就職いたしました。
やる気と希望に満ち溢れた初出勤の日です。
沼津では体験したことのない、寒さと、ひざ下まで積もっている雪。
その中を、滑りながらも20分ほど登りながら歩きました。
職場についてからは先輩に指導されつつ、親方、先輩のお茶の準備など
どうやら、僕の最初のポジションは飯場といわれるポジションで
そのポジションは朝昼晩の白飯、季節のご飯を炊くこと
漬物のしこみ、その盛り付け。
全ての雑務。
初日でやることがたくさんあり、個人的には嬉しかったのを覚えてます。
そんな中、隣で、親方から怒鳴られている先輩。
ここでは書けない内容の事もありました。
初日~1週間くらいは、新人という者は上の者からすると、お客様扱いになるわけで。
優しいのは最初だけ。
だけども、これが。修行なんだ。
耐えてやる。と自分なりに受け入れました。
長い1日がやっとおわり、暗くまだ雪が残っている
道を1人で歩いて帰っていました。
その時です。
普段、絶対に電話をかけてこない父親から電話がかかってきました。
内容は覚えてませんが、涙を堪えるのに必死で
早く電話を切りたっかたのを覚えています。
ですが、その電話がすごく助けになりました。
ここまで、お読みいただきありがとうございました。
その後は、次貫でお話をと思います。
竜之巣では、全国から美味しいものを赤酢の寿司と天ぷらでをコンセプトに仲買人さんとやり取りをさせていただいてたり、自分の足で探しにいったりしております。
本日は、漁師さんのお話を。
僕の友人は、戸田で漁師をやっています。
北海道や青森まで鰹やまぐろを獲りに行くので、年に数回
帰省中の時にしか会えません。
今、ちょうど帰ってきてまして。
二人で話す内容はくだらない話と魚の話です。
やはり、最近の海は異常らしく、魚がどこにもいないみたいです。
その船は全国でトップクラス、五本の指には必ずはいるような漁船みたいです。
そんな船でも採れないレベルで日本の海は枯れているみたいです。
(それでも、最後は巻き返して全国一位)👏
流石としか言えません。
遠洋漁業の方々は生活の大半が船の中、海の上。
魚を求めて荒れた海にも行き、もちろんそこには
網仕事や、荒波もつきものです。
その環境下で、海に落ちてしまったり、網に手が持っていかれるみたいな
事故もあるみたいです。
本当に、命がけの仕事だなと改めて思いました。
当たり前のように注文すれば届きますし、スーパーや鮮魚店に行けば
並んでいる、魚たち。
そこまでに、命がけのストーリーがあり
その魚を、調理する我々は、敬意をもって仕事をしていかなければなりません。
初めまして、竜之巣の坂野竜之介と申します。
ここではInstagramには書かない様なボリューム感で竜之巣の日常をお届けできたらいいなと思います。
さて、竜之巣がオープンして、半年が過ぎました。
よく、店を使ってくれるお客様、ご新規のお客様
この半年でいろんな方々にお越しいただいて、とても嬉しく思います。
僕は、お客様を評価する身分ではございませんが、恵まれた事に
素敵なお客様ばかりご来店くださるので幸せです。
本日の営業での最後のお客様のお話です。
そこそこお酒もはいって酔われておりました。
ご注文は、ハイボールとお寿司をお任せで。
これぞ、粋だなと思いました。
話の中で寿司屋は夜遅くまで営業してるのが当たり前だった
という話になりまして。
もちろん僕は平成生まれなので知りませんが。
そこで昔のアニメのワンシーンと繋がりました。
千鳥足でお父さんが寿司の折をひもでぶら下げ家に帰るというシーン。
通じますか?(笑)
きっと今は〆に寿司というのも減り、そもそも夜遅くまで
営業してる寿司屋がないのでしょう。
竜之巣は1:30ラストオーダー2:00閉店となっております。
様々なシーンでご利用くださいませ。